思いだし日記 1

2000年11月8日
7月に父が亡くなりました。
まとめて書きとめておきたいと思ったけれども
いざフォルダを作って、さあ書くぞ、とすると力入りすぎて
書けませんでした。

ここで思い出すままに少しづつ書いてみようと思います。
時々になるけれども、書くときのタイトルは「思いだし日記」です。
私のために。父のために。

私の父は鹿児島生まれで、絵に描いたような頑固者でした。
高校卒業するまで門限は日没。電話は3分以上はチャ−ンと切られ
はむかうと皿が飛ぶような日々でした。
私は父のことが嫌いでした。いや、嫌いだと思っていました。

大学を卒業して就職して自分で食べていけるようになったら
勝手に部屋を借りて家を出ました。
そのまま約7年ほど、ほとんど父とは口を利きませんでした。
そんな父の具合がおかしいと母から電話で聞いたのは
今年の1月の終わりでした。
母の妹の子供、つまり私のいとこがハワイで結婚式をすることになり
その機会に母は思い切ってはじめての海外旅行をしてみることに
なりました。40年近く自由に旅行などしたことない母の初めての
冒険でした。その出発前に母からの電話で
「お父さんがね、この頃食欲もなくて痩せたみたいで。私ハワイに行くの
 やめようかと思ったんだけど、行って来ればいいって言うもんだから・・
 私が留守の間一回ぐらい様子を見にいってやってね」と言われた。
そしてとりあえず母が出発してから2日ほどして電話をしてみた。
すると留守電に切り替わったまま、出る様子がなかった。
普段自分から電話に出るような人ではないのでいるかもしれないと思い
一応留守電にげんきーとか吹き込んでおいた。
そして次の日昼間に電話すると、前の日の留守電効果があり
父は電話に出た。
「元気にしてる?ご飯とか食べよう?」
「いや、あんまり食欲がないもんだから」
「なんか買って家に今から行こうかと思ってるんだけど」
「心配せんでも食べるものなら家にある。だいじょうぶ」
そう言われて内心ほっとした。父と二人きりになったら
何を話していいかてんでわからないのでどうしようと思っていたのだ。
「じゃあ、なんかあったら電話してね」
そう言って電話を切った。
その時、父の声のあまりの小ささにちょっとぎょっとしたのだが
そのまま母の留守中一度も父の元へ行くことなく過ごしたのだった。

ああ、どんどん思い出す。昨日のことのように。
父はもうこの世にいないのに、生きていたあの時の電話の声を
今も思い出します。あの消えてしまいそうな小さな声を。

 今日の晩酌・・・・白ワイン二分の一本。生ほうれん草とカリカリベーコン
            のサラダ。ごぼうの煮たの。ビーマンの煮たの
            (昨日の残り物)ブルーチーズ

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