今日の日記

2001年1月25日
母親と電話で話をした。
父が死んでから、母子で案外長電話する。

兄はずっといい子だった。少なくとも私は
兄が親に反抗するのを見たことがなかった。
私は「口答えをする」というのが親から叱られる
一番の理由だった。

兄は大学卒業するまで家にいて、外泊もせず、
両親のいうことをよくきいた。
私は高校卒業すると、通えないような学校を受け
一人暮らしをしぶしぶ両親に納得させた。

兄は就職して自立すると家を出て、
それきり約20年、ほとんど家に帰ることはなかった。
結婚も父の反対を押し切る形でしたので
兄嫁も孫たち(姪甥)も父の生前は家に来たことはなかった。

父が末期のガンだと分かり、入院することになったとき
私は子供時代からたくさん親と衝突してきたと自覚しながら
放っとくことが出来なかった。
自分が病院職員だと言う事もあったけれど
入院していた4ヶ月間、最後に過ごした自宅での
1ヶ月間とても親から離れることはできなかった。
でも、親にとっていい子だった兄、
反攻などしたことなかった兄は一ヶ月に一度見舞いに来るか来ないか
ぐらいだった。

きっと兄は子供の頃反抗しなかった分
どんどんと父親に対する鬱積した思いを
ためていっていたのだろうと思う。
親とやっと離れることが出来て
彼はきっとその思いを今までの鬱積を全て
「かかわらない」という形で昇華させたのだと思う。
恨むとかいうことではなく、
「何も感じない」と言う形で解決したのではないかと思う。

母と電話で話している中で
「お兄ちゃんは私がお尻を叩いて叱ったりしても
 何も言わずに、でもじっとこちらの顔を見つめていた。
 でも、あんたは『でていけっ』って叱ったら
 『はい、でていきますっ』といってぷ
いっと出て行ったりした」
私は我慢がない性質だった。
でも、その後で母が言った。
「お父さんが仕事から帰ってきて、そういう風に言ったら
 すごく叱られた。
 『あの子がそう言われたらどうする性格かお前は全然わかってない』ってね」
私は今でも覚えている。
小学校低学年の時だ。
出て行けと母に叱られ、意地っ張りの私はもう薄暗くなった外に
飛び出した。
公園の土管の中とかにいたりしたけど
どうしていいかわからず、とぼとぼとあてもなく、そして
怖くて泣きながら歩いていたのだ。
でも、最後どこにいたのかまでは覚えていなかった。
「お父さんと一緒に探しに行ったよ、もうくらーくなってたけどね。
 そしたらあんたは真っ暗な池のほとりに一人で座ってた。
 それを見た時に『この子はなんて意地の強い子だろう』ってあたしは
 思ったね。でも、私の顔を見た途端に泣きながら走り寄ってきたけどね」
最後の場面は私の記憶にはない。
ただ覚えているのは、帰ったらその日の夕飯が
カレーだったことくらいだ。

でも、その時に母が父から叱られたことは今日始めて聞いた。
確かに母親は私の、いや、自分以外の人がこう言われると
こう思う、ってことが全然分からない人なのである。
それを父親はよくわかっていて、
おまけに私がどういう子なのかもよくわかっていたのである。
小さい時は嫌いでしょうがなかった父。
でも、この頃父親の夢をよく見る。
元気だったままで出てくる夢。
死んだように青白い顔でしゃべっている父。

頑固で偏屈な父親だったけれども
嫌いだったけれども、本当は好きだったです。

きっと兄には一生分からない。

 

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